のたりのたり日記

自分、仕事、家族・・・・(今、写真にはまってます。写真は下手な横好きな私の作品)

☆今週の写真☆

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ブログお引っ越ししました 

2016.04.16 18:29|日々つれづれ

ブログ、お引っ越ししました。
Twitterの連携も外しましたので、明日から、Twitter投稿も表示されなくなります。

新しいブログは、ホームページサーバー内にwordPressをインストールして、自分で作成しました。

こちらに来てくださった方、是非、新しいブログにいらしてください。


新しいブログはこちらです→ 「日々つれづれ in おーぷんざはーと」
ブックマークなど、変更していただけたら嬉しいです。

新しいブログも、今までと変わりなく、宜しくお願いします。






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( 2016/04/16 18:29 ) Category 日々つれづれ | トラックバック(-) | CM(0)

「赦(ゆる)す」ということ 

2016.02.19 14:54|モラハラ関連

「自分に酷いことをしてきた相手を許せない。でも、いろいろな人が言うんです。許しなさいと」

許せないのは当然だと思う。
その経験は一生、忘れられることもないだろう。
忘れていたと思っていても、似たようなシチュエーション、似たような言動に出会うことで、自分でも驚くくらいに心が反応してしまうことがある。
かつての相手ではないのに、今の目の前の相手にかつての相手の怒りまでぶつけてしまって、人間関係がこじれてしまったりということもよくある。
吹き出てきた感情に反射的な言動をとってしまうと、そんな自分を許せなくなったり、あるいはそうした行動がパーソナリティ化してしまう。
無理に許そうとすればするほど、感情を封印すればするほど、それが吹き出てきた時の反動は大きい。

聞き分けよく、相手を無理に許そうとしなくてもいい。
無理やりに許すことで心の安定を得られるものではない。
自分はそれだけ傷ついたのだ、自分が受けてきたものは相手の心の毒を吐き出すためのモラハラという行為だったのだと認めれば認めるほど、許せない気持ちがこみ上げてくるのは当然だ。

ただ、やはり私も言うだろう。「赦し」てほしいと。
それは、相手を許すのではなく、その時間を過ごした自分を「赦し」てほしいということ。
攻撃(モラハラ)にさらされた自分、傷ついた自分、どうしてこんなになるまで我慢したのだという思い、そしてその時間。
それらを赦してほしい。

そうすれば、必ず、その経験、時間から生み出すものを見つけられるようになる。
相手を許せない自分を赦す。そうすれば、許せないなりの、自分に納得した言動を作り上げていける。

相手を許せなくても、そうした自分を赦せたなら、相手から遠ざかっていく。
似たようなシチュエーション、言動に出会って、心がざわついても、そのざわつきが怒りをはき出すためだけの「印」ではなく、この先の行動の「指針」になるはず…。

自分を、これまで過ごしてきたモラハラという環境で過ごしてきた自分を赦してほしい。
この先の自分の時間を生きていくために。


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カウンセリングルームの入り口にいるふたり







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( 2016/02/19 14:54 ) Category モラハラ関連 | トラックバック(-) | CM(0)

「ソイレント・グリーン」 

2016.02.09 14:15|写真とつぶやき

「高齢者は適当な時に死ぬ義務あり」と曾野綾子氏…という記事を読みながら、子どもの頃見た、「ソイレント・グリーン」(チャールトン・ヘストン主演・1973年)という映画を思い出した。

小学生の時に見て、衝撃を受け、一度見ただけなのに、未だにその内容を覚えている。
 
特権階級と貧民の格差が激しい未来。人口増加に伴って、食糧難が問題となっている未来。
貧民はソイレントグリーンという合成食品の配給を受けて生きている。そして、人口増加・食糧難対策として(つまりは働けなくなった人間は社会に不要な存在ということだろう)、60歳になると「ホーム」と呼ばれる公営施設で安楽死をさせられる。
実は、その老人達の肉でソイレントグリーンを作っているという映画だった。 

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高野山にて

日本政府は、子が親の面倒を見ろ、と老人福祉を削る。かといって、子どもが親の世代を面倒見られるようなゆとりを持てる時代ではない上に、子への福祉もどんどん削られる。

親の面倒を見るな! という声もネットなどで散見する。
「若い人が年寄りの下敷きになってはいけない」と。

識者と呼ばれる人でさえ、老人に金をかけるな! 老人福祉を削れと述べているのをよく見かける。
Facebookで見かけた時、その人のフォローをやめた(タイムラインに記事が表示されないようにすること)ほど、貧乏人高齢者予備軍の私は、ムッとした。
その人達は、老後生きていくだけの蓄えがあるからだろう…ゆとりがあるからだろう…と、貧乏な私は思ってしまう。

国公立も私学並みの学費となり、子育てにかかる費用は半端ではない。
大学なんて、金持ちの行くところ…そんな昭和初期の時代が戻ってきそうだ。
子どもの人数が多ければ多いほど、よほどのお金持ちでない限り親は蓄えることから遠ざかる。そんな時代だ。
子どもが奨学金で大学に行ったとしても、子どもは返済貧乏に陥って、今度自分が結婚して子どもを得た時、その子を育てていく経済力がない。

貧富の差=学歴の差、まさしく、昭和初期だね。

離婚数が増え、母(父)子家庭が増えている現代。
母子家庭は、生きていくだけ、子どもを育てる(教育費がバカにならない)だけで精一杯で、老後の蓄えなど殆どない家庭が大半。
私もそんな母子家庭生活を送ってきた一人。
そんな親世代が老人世代になった時、今の社会では、もう、ほんと死ぬしかないよなあ、、、、私、死ぬしかないなあ(笑)…と。

そんなとき、曾野綾子氏の記事。
ソイレントグリーンという映画を思い出した。

「高齢者は適当な時に死ぬ義務あり」…

SF映画は得てして未来を予知していることがある……。
 
 



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( 2016/02/09 14:15 ) Category 写真とつぶやき | トラックバック(-) | CM(0)

投影人口~ベッキーさんの報道を眺めながら 

2016.02.03 12:44|写真とつぶやき

スキャンダルの注目のされ方、その度合いというのは、投影人口に左右されると私は思ったりする。

その投影の内容によって、擁護・称賛されたり、攻撃されたりする。

皆、自分の中の処理し切れていないものを、どこかに流し込みたいとうずうずしているのだ。
そして、身近な存在に対してそれを堪えている人であっても、ゲーノージンとなると、流し込むことが出来てしまう。

今、話題のベッキーさん。
最初に開いた記者会見が、その後報道された中で見せる恋に対する舞い上がり度が、人々が抱え持ち、どこかに流しこみたがっている感情を刺激してしまった。
不倫をされて悩んでいる人々、不倫されるかもしれないと不安に思っている人々、不倫されることを想像できる立ち位置にいる人々、また、不倫を経験して痛い目に遭った人たち、不倫を我慢した人たち……。
そんな人達を刺激した。


逆に川谷氏。だんまりを続けている。
川谷氏は、例えば、げすの極みを今回のけじめと称して解散したとしても、indigo la Endがある…。
今回の件では、この件に合わせたような「両成敗」というCDを売りさばいたし…。
名前は売ったし…読みにくい名前を読めるようにしたし…えのんだっけか。

ミュージシャンは、お茶の間を対象にしているわけではなく、曲が売れればいいのだから、だんまりを通せたらそれに越したことはない。だんまりを通して、コンサートなどでファンに対して少し言葉を発して、ファンがファン故のイメージでその言葉を受け取りさえすればいい。「ファンには誠実」と思わせさえすればいい。
逮捕された過去がある人でさえ、売れ続けているミュージシャンは山盛りいる。
例え、これでベッキーさんと別れても、結婚しても、そしてその後離婚しても、「やっぱりな」「だから言ったじゃない」とそれぞれが自由に言葉にしても、彼はさほど損はしない。

そもそも、諸悪の根源は川谷氏である。
報道が真実ならばの話だが、妻に、元カノとのことを泣きながら話す(相談する)、既婚者であることを話さない、なんてことからも、彼のパーソナリティは垣間見える。
しかし、その諸悪の根源など今は、世間にとってはどうでもいいのだろう。

なんて、バカで愚かな男だろう…と川谷氏を鼻で笑ったり、ため息をついても、投影感情をベッキーさんほど刺激しない。
だんまりを通し、ファンにだけ頭を下げ、上手に逃れている。
「根源」というのは、そういうことに本能的に長けている。
川谷氏の仕事の対象は決してお茶の間ではない。「いい仕事さえすればいい」と、業界独特の感覚が、この先の彼を保証さえする。
ファンに、「自分たちファンには誠実」と思ってもらえさえすればいい。

私の娘が、「ママさえも、この件で、げすの極み乙女。を知ったものねえ。すっごいプロモーションだ」と…(笑)。
 

ベッキーさん、、、初期対応のまずさと、恋に舞い上がってしまったという、自業自得な面は否めないとしても、一人で全部背負わされてしまったなあと…と思いさえする。
投影人口を、初期対応のまずさと舞い上がり度が増加させてしまった。
そして、彼女の31才という年齢が、許さない人たちを更に増やした。もう、子どもじゃないだろうと。
彼女をテレビ画面で見守ってきた同世代、その親の世代の人たちの多くは、川谷氏の妻の立場にいる。

ベッキーさんが仕事の対象にしていたのは、お茶の間だった。
こんなまじめな娘がほしいなあと思う親世代。
明るさとまじめさに励まされる同世代。
それをうっとおしいと思ってもいる同世代。様々だ。

そんなテレビの向こう側の人々に感情を流し込む場所を提供してしまったベッキーさん。流し込む場所を見いだした人たち。
反響の大きさに、取り上げ続けるマスコミ。

CMがなくなったことは仕方がないことだろう。それがプロの世界だから。
 
ネット上には、「子どもに影響が悪い!」と、テレビ局に彼女を出すな! と10分に1000本の電話がかかってきたという。
「悪いことをしたのだから、叩かれて当然」と、自分の心の怒りまで流し込む、醜い言葉が綴られる。
「子どもに影響が悪い!」と言う大人が、それこそ子どもに影響の悪い罵倒の言葉を綴る。

それは本当の正義だろうか。


ベッキー-さんがしてしまった不倫や、その後の対応、舞い上がり方は確かに悪いしまずいけれど、視聴者だからというだけで、そこまで、正義を振りかざしていいものだろうか。その正義は、投影ではないだろうか。


最初の対応次第で、川谷氏の妻さえも味方につけられたかもしれないと…私はそんな風に思いさえする。
川谷氏の妻の、川谷氏に向けるべき思いまでもを、ベッキーさんの会見や舞い上がり度はベッキーさんに向けさせてしまった。

しかし、ベッキーさんの中で、自分の社会的立場よりも、恋への舞い上がり度の方が勝っている時に出てしまった報道だったのだろう。
恋はある種のマインドコントロール。
不倫に夢中になっている女子というのは、「彼氏(既婚者)を悩ませている妻」ってイメージをすり込まれているから、妻に謝るという発想が出てくるのは、自分の言動のまずさ、その影響というものに気づくというのは、もっともっと後…なのだろうと思う。
ベッキーさんも、そのコントロールが溶けた時、自分の舞い上がり度、対応のまずさの大きさに気づくのだろう。

私が見た部分だけでの判断だけれど、「堂々とできる」と言う川谷氏に対し、「私もそう思う!」とベッキーさん。
「ありがとう文春」という川谷氏に対し「ありがとう文春!」と返すベッキー-さん。
舞い上がっている恋の相手に必死で同調している様がうかがえる。

舞い上がっている恋に対して、必死で同調したり、なんとか成就したいと自分のことだけ考えてしまうということをしでかしてしまったことがある人は、おそらく、ベッキーさんを非難している人の中にもいるはずだ。
しかし、それ以上に、ベッキーさんの会見と舞い上がった態度は、不倫をされたことのある人の怒り、された時のことを想像できる人たちの怒り、されるかもしれない人の不安、不倫を経験したことがあるけれど、成就できなかった人の悲しみ、痛い目に遭った人の苦痛を刺激したのだと思う。


もちろん、不倫は悪い。決して私はベッキーさんを擁護しているわけではない。
やはり、一番の被害者は、「妻」である。

いずれ、自分は妻に対する加害者であったこと。そして、自分も被害者でもあったことにベッキーさんには気づいてほしいと心から思う。
そして、加害者、被害者の両面の自分を受け止めて、頑張ってほしい。

川谷氏というパーソナリティに、彼のテリトリーに入った女性たちは、皆、翻弄されてしまったのだろう。


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( 2016/02/03 12:44 ) Category 写真とつぶやき | トラックバック(-) | CM(0)

自信がない… 

2016.01.26 01:39|カウンセリングの現場から



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「自信を持ってくださいね」と言いながら、クライアントさんを面談室から送り出す私。
しかし、私自身も実は自信のない人間。
今は、自信のない人間「です」と「でした」のちょうど中間くらいにいるかもしれません。
「でした」と言えるようになるのは、おそらく生き抜いた後の死ぬ直前くらいでしょうか(笑)

「自信がない」ことは、このブログでもいつも書いていますが、必ずしも悪いことではないとは思っています。なので、自信のない部分を常に持ちながら歩き続けるのもある意味人生のあり方かなと。

やりたいこと、こんな風になりたい自分…そういう目指すものがあるからこそ、自信がない状態になる…そう思っています。
一つ自信をつけたら、また次の自信のなさが表れる。
何か、行動をしようとしたら、また、したいなあと思ったら、不安になって、自信ないよ、とちょっと弱気になる。そんなものなのではないでしょうか。
自信がない、落ち込むということは、したいと思っていることがある、目指したい自分の形があるという、実は前向きな人に訪れるものなのではないでしょうか。

ただ、私自身、自信がなさ過ぎて身動きが取れない時期がありました。
「どうせ私なんて」そんな思いに包み込まれていた時期が。
何をするのも自信がないから動かない。動けないと思ってしまう。

そんなとき、友人達が「もっと自信を持って」「大丈夫。えみさんならできる」そんな風に、何度も何度も声をかけてくれて、そのときそのとき、目の前にあることをとにかくやる。一生懸命やってみる。
やっぱりやれなかったこともあるし、やれたこともある。

やれなかったことばかり見ていると、どんどん身動きの取れない自信のなさに包み込まれていきますが、一つでも、二つでもやれたことがあったら、それを褒めてくれる友がいて、私自身もそちらに目を向けることができた。やれなかったことは、いつかできたらいいなあ。また、やる機会があったら、頑張れたらいいなあと思えるようになったら、少しずつ心が楽になった気がします。

(私、友達少ないんですけどね…。でも、素敵な友に恵まれているなあと思います。友達って数じゃないですよ)

自信満々なだけが素敵なことではない。
自信のなさが成長を促すこともある…。
一つ一つ、何かを成しながら、成せることを増やしながら、ふと振り返ったら、あのとき自信がなかったことと今自信のないことは変化している。自信のなさが成長している。

コツコツと動いていれば、今やることを、コツコツとやっていれば、自信がなくても、いいのかもしれません。

「自信を持ってくださいね」
それは、自信満々になることではなくて、自信がないのは、前を向いているから…そんな今の自分を信じて、コツコツと生きていくということだと思う私です。
 
「自信ないけど、とにかくやれることをやっとくか」な私です。 
あ、でもやれることを見つけるのも大変なんですが、私(笑)
それはまた別の時に……

 


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( 2016/01/26 01:39 ) Category カウンセリングの現場から | トラックバック(-) | CM(0)

ノーオイルフライヤーってのを買ってみました 

2016.01.12 21:03|お買い物




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Amazonで、お手頃価格のノーオイルフライヤーというのを購入しました。



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前もって、西友で実物を見ていたので大きさは知っていましたが、
実際に家庭の台所に入ると、結構大きく感じます。

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それでもまあ、まな板を置くスペースが残っているので、良しとします。

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ネットで使った人のブログなどを見ると、オイルスプレーをかけるといい、とあったので、普段フライパンに油をしくときにも、使えるし…と、オイル用スプレー容器も購入。

さて、早速、一人飯の今日、失敗しても大丈夫だしと、コロッケ2個を調理してみました。

油で○分と、商品に書いてあるものより、3,4分ほど長めにということだったので、180度で8分と書いてるものを、予熱をあまりしなかったので(予熱をしておいた方がいいそうです)、200度で、15分で設定しました。
時々覗いていいとも書いてあったので、2度ほど覗きました。次からは覗かなくてもいいかな。その方が熱が逃げなくて良いかも。
初めてなので、ちょっと心配だったので(笑)
チンって音がトースターみたい(笑)
 
 

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ネットの予備知識通り、仕上がりは、油で揚げたもののような色合いはなく、中までちゃんとできているのかしらと心配になるようなコロッケとしては見慣れない白さ。
でも、割ってみたら、しっかりとコロッケでした(笑)


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白っぽいですが、さくさくしていて、ヘルシーです。油ゼロのコロッケ!
熱々のうちに食べたらおいしくって、思わず「いけるやん!」と。
オイルスプレーを調理前に試しに少しふりかけてみましたが、ふりかけたところは、見慣れたコロッケの色がついているような気がしました。


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熱々で食べると、ヘルシーで、うまうま(笑)
食べる直前にセットしておくと、熱々を食べられていいかも!

台所が汚れない。
調理している間、機械任せなので、他のことができる。
油ゼロでとってもヘルシー。
これは、ちょっとおすすめかも。

マフィンなんかも作れるそうですよ。

お値段が手頃だったので、良い買い物だったと満足しています。
後片付けも簡単なので、これから活躍しそうです。

ただし、2個をセットした写真を見てもらったらわかるように、一度に大量には作れないので、大家族には不向きかなあ。
我が家のように、二人暮らし、一人で食べることが多い家庭には重宝する代物かと…。






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( 2016/01/12 21:03 ) Category お買い物 | トラックバック(-) | CM(0)

元日に… 

2016.01.01 14:26|写真とつぶやき


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元日、メルニアをつれて、実家におぞうにをよばれに。
両親も、85歳…。いつまで「我が家の味のおぞうに」を食べられるのかしら。元気で少しでも長生きしてほしいなあなんてしみじみ。
 
そんな時、うとうとして、とってもリアルで不思議な夢を見た。
初夢になるのだろうか、これ…。
 
私の深層心理が夢になったような気がして、ああ、結構しんどかったんだなあ、これまでの人生、と思わず自分に対してなんて声をかけてあげようかしらと思ってしまった。
 


目が覚めて、「うわぁ、リアルな夢。夢で良かった! あんなしんどい人生は嫌だ。選択を間違えないようにしないと…」と高校生の私が、呟く…。
実は、そちらの私が夢なのだけれど…。
 
結構しんどかったんだなあ、これまでの人生。それが夢に現れたのかしら、と思いながらも、その人生のすべてが嫌だというわけではない。そして、その人生を否定するわけでもない。
ないけれど、どこか、一つ選択肢を変えたら、違う人生があったのではないかしら、と思うことはやはりある。
 しかし、その違う選択肢を選んでも、その先で、きっと同じように「違う選択肢を選んでいたら…」と思い巡らせることがあるのが人なんだろうなあということも知っている。
どんな選択肢を選んでも、人っていうのは、「あのとき違う選択をしていたら」と思う生き物。
だからこそ、今を大切にしながら、その瞬間の自分らしい選択をして、その結果を引き受けていけたら、と思う。

 
こういう夢を見るというのは、今までを否定しているのではなく、今それこそ、人生の何かの課題にぶち当たっていて、自分をしっかり見つめないと、っていう時に立っているからなのだろうと。。。。思ってみたりする。


そんなことを思いながら、メルニアをつれて、家での仕事をするために、実家を後にした。

さて、新しい年がやってきた。
今の自分を愛しながら、一日一日を大切に、今年も元気にやっていこう!

私、メルニア、そして私とつながるすべての皆様、今年もよろしく!
 
 
 
 


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2016年で、おーぷんざはーとは25周年です!

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